あなたにとって、赤鉄橋はどんな存在ですか?
2026/06/29
こんにちは。百人力の吉良です。
いきなりですが、皆さんにとって、四万十市の赤鉄橋はどんな存在でしょうか。
毎日の通勤や通学で渡る橋。
休日に家族で出かけるときに渡る橋。
県外から帰省して、「帰ってきたな」と感じる景色。
きっと幡多地域で暮らす多くの人にとって、赤鉄橋は「そこにあるのが当たり前」の存在ではないでしょうか。そんな赤鉄橋が本日、2026年6月30日に100周年を迎えたそうです。先日から高知新聞で連載されている「赤鉄橋100年物語」の特集記事を読み、赤鉄橋の歴史を知ることができました。
【悲しい出来事が、橋づくりの始まり】
今では橋を渡ることが当たり前だと思いますが、橋ができる前、人々は渡し船で四万十川を渡っていたみたいです。しかし、大雨で増水した川で渡し船が転覆し、多くの尊い命が失われるという悲しい事故が起こったと記事に載っていました。そして、その出来事が「安全に川を渡れる橋が必要だ」という大きなきっかけの一つとなり、赤鉄橋の建設へとつながっていったそうです。今、私たちが何気なく渡っている橋は、多くの人の願いと想いの上に造られた橋なんですね。
【赤鉄橋は、最初から赤くなかった】
今回の記事を読んで、驚いたことがありました。実は、赤鉄橋は最初から現在のような赤色ではなかったそうです。今では「赤鉄橋」と聞けば、誰もがあの赤い橋を思い浮かべると思います。100年という年月の中で姿を変えながらも、地域のシンボルとして愛され続けてきたことを知り、歴史の深さを感じました。
【渡川という名前】
四万十市には「渡川(わたりがわ)」という地名がありますよね。普段何気なく耳にする地名ですが、その背景には、人々が船で川を渡りながら暮らしていた歴史があったみたいです。橋がない時代、人と人、町と町をつないでいた渡し船。そして今は、その役割を赤鉄橋が受け継いでいます。この町は昔から、「人をつなぐこと」で発展してきた地域なんだと感じました。
【100年間、人の暮らしを見守ってきた存在】
100年という長い時間の中で、赤鉄橋はたくさんの人を見守ってきたのでしょう。
初めてランドセルを背負って渡った日。
高校へ自転車で通った日。
就職して毎日車で渡った日。
家族や恋人を乗せて渡った日。
そして、故郷へ帰ってきた日。
人それぞれに、赤鉄橋との思い出があると思います。だからこそ、この橋は単なる交通インフラではなく、四万十市の暮らしそのものを支えてきた存在なのだと思います。
【そして、これからの100年】
「橋」という建造物も、完成したら終わりではありません。定期的に点検し、補修を繰り返しながら、次の世代へ受け継がれていきます。「長く安心して使い続けられること。」それこそが、本当の価値なのだと思います。家づくりも、同じです。僕も仕事で四万十市へ向かうたび、この赤鉄橋を渡ります。
「今日はどんなご家族と出会えるだろう。」
「どんな家づくりのお手伝いができるだろう。」
そんなことを考えながら、この橋を渡る日もあります。私たち百人力がつくる家も、完成した日がゴールではありません。その家で子どもたちが成長し、家族が笑い合い、何十年もの思い出が積み重なっていく。そして、いつまでも安心して暮らせること。それが、私たちの考える家づくりです。100年間、人と暮らしをつないできた赤鉄橋のように。
私たち百人力も、幡多地域で暮らす皆さまにとって、赤鉄橋のように身近で安心できる"当たり前の存在"でありたいと思っています。
家づくりを考え始めたとき、「まず百人力に相談してみよう。」そう思っていただける"橋"のような存在を目指し、これからも地域の皆さまと歩んでいきます。
100年後も、この町の子どもたちが赤鉄橋を当たり前に渡り、安心して家へ帰れる四万十市であってほしい。そんな未来を、私たちも家づくりを通して支えていきたいと思います。
P.S.
ここまで読んでいただき、ありがとうございました😊本当なら最後に百人力の宣伝もするべきなのかもしれませんが、今日はやめておきます。主役は100周年を迎えた赤鉄橋ですから。
赤鉄橋、100周年おめでとうございます!
百人力 吉良


